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100年のあゆみ

大阪の町で、谷岡学園創設者である谷岡 登は、誰もが高度な技術を習得できる実践的な商業学校を創り、真に役立つ人物、人材を養成したいと決意し、
1928(昭和3)年2月、大阪城東商業学校を設立。学園の100年にわたる歴史が始まりました。

学園創立当時(33才)

建学の父・谷岡 登

日本で初回の計理士(現在の公認会計士)となり、1927(昭和2)年、大阪・堂島に計理事務所を開設。とりまく不況の中で、「自分がこの世でなすべきことは何か」を考え、建学の理念である「役立つ実業教育、役立つ人物の養成」を導き出し、大阪城東商業学校の創立へ全力を注ぎました。初代の大阪商業大学学長であり谷岡学園理事長。大阪女子短期大学、幼稚園、大阪城東商業学校の設置、大阪泰西学館の理事を務めました。1942(昭和17)年に布施市市議会議員当選、同市会副議長。

信条の「倒れてもなおやまぬ不撓不屈の精神」を表現した達磨をモチーフにした作品。

大阪城東商業学校校長の時に考案した日記帳。日ごとに格言を記載するなどの工夫があり、当時からアイデアマンであったことがうかがえます。

27歳の時、縁あって花枝を妻に迎えました。当時郵便局長となった登の仕事を花枝が一手に引き受け、登は独学、さらに夜間大学に通学と努力を重ね経理士の資格を得ました。実業教育に関心を持ち、学校経営に生涯を捧げるに至ったのは、内助の功あってのことでした。

谷岡 登と花枝夫人
昭和33年5月藍綬褒章受章当時

創設・激動期
1928~1949(昭和3~24)年

1928(昭和3)年

大阪城東商業学校を開校。当時ではユニークな機械工業、電気工業、科学工業の3科目が正課として設置されました。

1929(昭和4年)当時の大阪城東商業学校(木造2階建校舎、3棟)

1931(昭和6)年

全国に先駆けて、工業科目の実習を兼ねたシボレーを有する自動車部を創設。先進性あふれる学園として発展していきました。

シボレーを有する自動車部

1934(昭和9)年

第一室戸台風による被害を受け、全校総出で倒壊校舎を整理しました。本館復興に対して学債を発行するという新機軸を打ち出し、1935(昭和10)年にひときわ鮮やかな鉄筋コンクリート4階建ての新校舎が完成しました。

室戸台風により校舎の2/3を失う

当時発行された学債

校章の照り映える白亜の新校舎が完成

1936(昭和11)年

関西中等学校で初めてのグライダー部を創部。1号機は「さきがけ号」と命名されました。

1941(昭和16)年

第2次世界大戦・真珠湾攻撃

1944(昭和19)年

学校教育に関する戦時指令により大阪城東商業学校を工業学校に転換、布施工業学校と改称し、機械科・航空機科を設置。翌1945(昭和20)年、大阪城東商業学校に復帰しました。

戦時下の元、激化する当時の教棟

1946(昭和21)年

財団法人城東文化学園設立認可

1948(昭和23)年

学制改革により城東高等学校設置認可。

前進・伸展期
1949~1974(昭和24~49)年

1949(昭和24)年

城東高等学校を大阪城東大学附属高等学校に名称変更。
大阪城東大学が開学し、中学から大学まで一貫教育が行える総合学園が誕生しました。
また、財団法人城東文化学園が財団法人大阪城東大学への名称変更を認可されました。

学園創立20周年・大阪城東大学開学記念式

1951(昭和26)年

財団法人大阪城東大学を学校法人大阪城東大学に組織変更認可。

1952(昭和27)年

学校法人大阪城東大学を学校法人谷岡学園と名称変更し、大学名を大阪商業大学としました。高等学校を大阪商業大学附属高等学校、中学校を大阪商業大学附属中学校と名称変更しました。

1954(昭和29)年

学校法人藤井寺学園相愛第二高等学校を吸収合併し、大阪商業大学附属女子高等学校と名称を変更。翌年の1955(昭和30)年に大阪女子短期大学を開学し、女子教育の発展に寄与しました。大阪商業大学附属女子高等学校はその後、大阪女子短期大学附属高等学校に名称変更。さらに、大阪商業大学附属幼稚園を開園し、幼児教育にも力を注ぎ始めました。

大阪女子短期大学附属高等学校 園芸部の生徒

大阪女子短期大学 新学舎

大阪商業大学附属幼稚園

1957(昭和32)年

幼稚園の送迎バスの運転を担当していた大阪商業大学自動車クラブ部員が、九州水害地へ衣類や日用品などの救援物資を輸送。産学協働による社会貢献活動の先駆けでした。

社会貢献活動への取り組み

1964(昭和39)年

東京オリンピック

1970(昭和45)年

大阪万博が開催されたこの年、学校法人清陵学園堺経理高等学校が大阪商業大学の姉妹校に。同学園理事長に谷岡 太郎が就任しました。

1970(昭和45)年頃の堺経理高等学校

1973(昭和48)年

堺経理高等学校が大阪商業大学附属堺高等学校に名称変更。

飛躍期
1974(昭和49)年~現在

1974(昭和49)年

谷岡学園理事長・大阪商業大学学長・大阪女子短期大学学長に谷岡 太郎就任。

当時の谷岡 太郎

1989(平成元)年

神戸芸術工科大学が開学。教育、研究における芸術と工学の融合という理想を掲げました。

神戸芸術工科大学本館他12棟新築

神戸芸術工科大学 開学式

1992(平成4)年

大阪商業大学高等学校、大阪商業大学堺高等学校、大阪女子短期大学高等学校に名称変更。

1993(平成5)年

神戸芸術工科大学 大学院が開設。

1995(平成7)年

阪神淡路大震災

1997(平成9)年

大阪商業大学 大学院が開設。大阪商業大学とアメリカ・ヒューストン大学およびヒューストン大学クリアレイク校、続いて神戸芸術工科大学とイギリス・ウエストミンスター大学が協定を締結しました。

ヒューストン大学との協定締結式の様子

神戸芸術工科大学とウェストミンスター大学協定締結
谷岡奨学金の創設

学園創立者谷岡 登先生、谷岡 花枝先生の遺徳を偲び設立された基金の果実をもって、1997(平成9)年に創設されました。

2005(平成17)年

学校法人谷岡学園理事長に谷岡 一郎就任。

2006(平成18)年

大阪商業大学が韓国・明知大学校、オーストラリア・サンシャインコースト大学と協力協定を締結。
海外大学との提携がますます広がりました。

2009(平成21)年

学校法人清陵学園と合併、大阪商業大学堺高等学校が学園設置校になりました。

2017(平成29)年

大阪女子短期大学高等学校を大阪緑涼高等学校と名称変更。

2024(令和6)年

大阪緑涼高等学校 70周年
大阪商業大学附属幼稚園 70周年

2028(令和10)年

大阪商業大学高等学校 100周年
大阪商業大学堺高等学校 60周年

2029(令和11)年

大阪商業大学 80周年
神戸芸術工科大学 40周年

現在の大阪商業大学

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